水飲み禁止

今から40年前、僕が中学生のころは
野球部は練習中、水飲み禁止でした。
プライベートでもプール禁止。

今思うと狂気の沙汰やね。これは。
考えられへんわ。真夏の炎天下。
5時間も6時間もぶっ続けで練習して、一滴も飲まず。

そういえば飯も食ってないやないの。
ほんまかな。忘れてるけど、一日中やってたような気がするんやけど。
弁当持ってきても腐るし、どうしても思い出せないのだが、
水だけは飲んでないのは覚えてる。

今はまめに水分補給を指導者が心がけるよね。
なんかあったら大問題や。命にかかわるから。
熱中症という言葉はその当時なく、日射病と言われてました。
これになる奴はほぼいませんでした。

今思うと春に40人ほど入った部員は夏ころまでに
半分の20人ほどになってて、
つまり、耐えれそうなものだけが残ってて
身の危険を察知したものは既にいなかったんやろなと思います。

水は大事やな。命の泉というけれど、
ほんまにこれは人間にはかかせません。

なんでこんな話をしてるかというと
耐震相談のコーナーが役所のホールにできてて、
そこで震災の時の倒壊した建物の写真や、
あのとき何が欲しかったかというアンケート調査結果のパネルがあり、
水、懐中電灯、袋、ラップ、防災トイレ、新聞紙、カセットコンロなどがあげられてる。

飲めないのと飲めるけど飲んだらあかんのとはだいぶ違うね。
どうしようもないからね。無いから。
その当時は学校の外に出たファウルボールなどを取りに行き、
何とか工場の水道水を隠れて飲んだりしてたな。

そうでないとやっぱり、身が持たんわ。
ほんまに飲めなかった奴は口のまわりが異様な感じになってたな。
13歳ゆうたら子供みたいなもんやのに
ようそんな過酷なことしてたな。と思います。

上のレベルでも当時はそうやったんかな。
高校いってからサッカー部に入ったけど
やはり練習中は水飲んだらあかん。やったな。
これも隠れて飲むのでした。

おそらく水飲みよし。となったのは昭和が終わり、平成になったころから
ぼちぼちではないだろうか。PL学園の桑田、清原の時代も水禁止やったようやし。

それから21世紀が始まるころにはすっかり世の中の風潮は
根性ではなく、体調管理へ移行したのでは。となんとなく、
年代をおって質問したりしてるとそんな感じです。

飲料水が店で売る時代になったのは、
覚えてる限りでは、1987年ころかな。と今から30年前か。
定かではないが富士の水とか飲み比べてた頃があったので
そんな気がします。

役所の耐震相談のコーナーの話をしたかったのですが
ずいぶんずれてしまいました。
ちょっと無理やり話を方向転換すると

熊本の地震の様子が出ていたので、
これをみるとかなりひどい強い地震であったことがわかります。
また、大阪は日本一木造家屋密集地帯が多いそうで、
こんなパネルもありました。


守口市、豊中市南部、生野区、城東区南部、東成区などかなり密集してて大地震のときは
延焼の恐れが多くて危ない地域だそうです。
そういう地区が日本一多い。

普段から防災にたいする心構えは大事ですね。

忘れたころにやってきますので。天災は。