オフィス街の4641万円のすきま

たによんの街を歩いてみました。
ケロヨンではなく、谷町4丁目
略してこう呼ばれてます。

ここは大阪の真ん中のオフィス街で
大阪城にほど近いせいか外国人観光客
と思しき人々がちらほら歩いたりもして、
働く人々と合わさりにぎわってます。

そんななか、コインパーキングの隣のビルの敷地境界沿いに
砂利敷きの上にびっしりと草が茂ってました。
どこでもあらわれるな。

こんなコンクリートとアスファルトだらけの
まちなかでも。結構均一に整然としてて、
誰か管理してるんちゃうかと思ったほど。

初めて30分ほど歩いてみたが
ビル街はやはり人間のスケールに
あわないの高さのビルばかりで
見上げてることが多い。

この写真のように縦に撮ることがほとんどでした。

ふらふら歩いていると1間幅(1.82m)ほどの
ビルとビルの間の長い空地を見つけました。
ざっくり300mくらい続いてるのではないかと
たどってみました。

まずはコインパークのところで
ここは草だらけになって荒れ果て
自転車捨て場にもなってました。


こっちは自転車置き場
マンションの脇にあってまた
捨て場と化してるのでは
と思って入って行ったら
どうやらかろうじて使ってるのも
ありそうでした。しかし多分
自敷地ではないだろう。

どうやら昔は水路でもあって埋めたのか
大阪市の所有のようである。



ずーっとこんなふうにつながってて
どうにも利用できない感じです。
単なるスキマやけど
土地の広さ、値段はいくらやろね。
面積は1.82m×100m=182㎡
54.6坪 85万として4641万円

たによんの地価は平均こんなもんらしいので
どうにも使えない土地4600万円が眠ってます。
航空地図みても全く気付かんくらい
細長く横たわってて横切る道路で寸断されるけど
また続く、というのが3ブロックほどありました。

それを追うのはやめて違う方向歩くと
3階建ての木造っぽいものがでてきました。
山本楽堂です。これは横向き写真。


現存する大阪最古の能楽堂で90年ほどの歴史があるようです、
能楽以外の催し物も多くあるようで、
意外なところにひっそりと小さめに鎮座してました。

こんなふうにきれいになってるスキマもありました。

以上、谷4でした。

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幅6m道路に庭木のアーチ門2

気になったので昨日と同じコースを
(ちょっと迷って)
たどってあのアーチ門の木を確認してきました。

やはり両方とも桜でした。
桜ならまあ毎年綺麗に
花咲かせるし、許しとこか、
てなもんかな。どうやろね。
下は道路やから落ち着いて見られへんしね。
春になればまた、確認します。

そういえば、庭に桜の樹を
植える人は少ないね。
今まで生きてきて
数えるほどしか見たことない。

聞いたところによると
手入れが大変で剪定すると
腐るそうで、伸ばし放題
そのうえ成長が早く、
横へ大きく乱れていくし、
樹勢が20年ほどで落ちてくると
毛虫発生に悩まされる。

花が綺麗なのは1週間ほど
後の51週間はさほど
嬉しくもない。

紅葉もさほど美しくない。
花の散る姿が凶報に例えられる。
根が浅いところで早く広がって家の基礎を
持ち上げる。(現代は違うが)など。
あまりプラス要因がないのである。

それで、庭木にはめったにお目にかかれません。
まああの様子を見たらそのとおり、横に
好き勝手にのびまくってるんやね。

庭木で見ないといえば、
街路樹ではよくみかける
銀杏、プラタナス、マロニエ、柳、
こんなのはみませんね。

特にプラタナスは樹形がすごいもんね。
岡本太郎がつくったみたい。
あれが似合う家を建ててみたいもんやな。

4年ほど前の5月に街中に
大量の毛虫発生したことがありました。
街中と言っても住宅街をちょっと離れた
樹の多い場所や、公園などですが、

ほんまに足の踏み場も探したいくらい
歩道一面に落ちてうにょうにょと動いてるさまは
強烈でした。あの年だけでその後は見かけません。

公園やそこらに春先になると
存在をアピールしてくる桜の樹の下には
特に多かったような気がする。
やはり毛虫発生要注意。

庭木として使わんけど
公園や学校には必ずあるね。
小学生の頃は桜の大きな樹を背中にして
「どうま」という遊びをよくやってました。

これは今思えば、危険極まりない、いじめにも
発展しそうな恐ろしい遊びでした。

5人づつくらい2チームに分かれて
1人親が気にもたれて立ち、
4人がかがんで後ろからまたぐらに
頭を突っ込み連結して
先頭が親のまたぐらに入れて準備OK

そこへ相手チームがすごい勢いで
走ってきて、そのかがんでる
連中の背中に飛び乗ってつぶす。
5人目まで耐えたら
ようやく「いんちゃん」
(大阪では昔じゃんけんをこう呼んでいた)して

勝てば交代、入れ替わって、
虐待の限りを尽くすかの如く
どうにかして高い飛行を試み、
相手チームの背中に
お尻から飛び乗るのである。

現代の親がみたら卒倒するのではないだろうか
と思うほど、えげつなく痛く、危険な遊びでした。
今でも存在するのかな。あの遊び。

不思議と皆、背骨が丈夫で
けが人が出た話は聞いたことなかった。
現代の子供は骨折が多いね。

しょっちゅう、子供の友達の骨折の話を聞くわ。
食べ物の違いでしょうか?

身体は丈夫に健康に育ちたいものです。
桜の木のように伸び放題でちょっと迷惑でも
元気なほうがいいですね。

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76年前の奇跡!京阪関目駅の国技館をご存知?

大阪から京都まで京阪電車が
走ってるのを知ってますか?
僕は子供のころから20年ほどは
この電車沿線に住んでたので、
電車と言えば、
京阪電車のことでした。

まあ国道一号線に
チンチン電車も走ってたので
それも利用してたような
思い出もあるが、
すぐ廃止になったからね。
残念でした。

で、京阪電車ですがこれは昔は
淀屋橋から京都三条まで
特急テレビカーで40分ほどで着きました。
京橋から七条までノンストップ。
学生時代は関目から
三条まで毎日乗ってました。

そんなお世話になってる電車沿線に
まずは千林、そして関目と移り住み、
10年ほど子供時代をすごしたわけです。

関目駅は各停しかとまらず、
たいした名所もなく、
両隣の野江や森小路が
みえるほど駅間が近い
そんなとぼけた駅です。

そういえば、中学のときの友達が
この駅のホームの下に住んでて
確か、窓からホームの下が
みえてたような、そして、めっちゃ
電車の音がうるさかった
ような覚えがあります。

よう家があったなと思うけど。
まあ、いろんなところに
高架下の店舗はあるからね。

でも住んでるのは珍しい、
か、いや、そういえばそこも
飲みややったかも。
あんまり注目してなかったので意識低い。

それでその駅からすぐそばに
アーケードのある商店街があり
入るとすぐ左に「まからずや」
っていう洋服屋がある。
これが50年近く兄弟でやってる
のではないかと思うが、
1回も買ったことはない。
いや一回試みて
ほんまにまけてくれないので
やめた覚えがある。

いまだにどの世代が
ターゲットなのか
さっぱりわからん。
しかし、続いてるから
なんとか売れてるんやろか。

関目の七不思議、そしてその前には
これまた、40年も続いてる本屋も
あるのだが名前は覚えた記憶もない。
しかし、たまに何か買ってたね。
今は本はちょっとで、あとは文房具かな。

それからちょっと歩くと
「喫茶店」がある。
あと、母子でやってた八百屋と、
消えていく店もようけあったけど
これらは今でも残ってる。
みんな頑張ってるね。

拓郎の「消えていくもの」
を彷彿させます。
なんてことない、
寄ったことのない店でも久々に来て
やってたら妙に嬉しいもんです。

また、アーケードじゃない
メインストリート?みたいな通りを歩くと
「関目冷菓」という店があり、
中でソフトクリームや、
イカ焼きが食べれます。
真冬の寒い時期にこれを
セットで食べるのが好きでした。

こんな、しょぼめの店ばかりの
関目ですがなんと76年前には
あれがあったんです。
何かわかります?
国技館です。

25000人も入れる両国国技館よりも
大きいものだったそうですが
昭和12年から16年までたったの
7回準本場所を行っただけで、

戦争のせいでもう倉庫代わりになり、
終戦後しばらくで解体され
今は全く跡形もなく、
お知らせ看板のみが団地の
そばの城北川沿いにあるそうです。

びっくりですね。
関目にこんな大きな
イベント物があったとは。
今は多くのマンションが
立ち並ぶ、住宅街です。

一方通行多いけど、
通過する車は少なめで
まあまあ住みやすいのでは
ないでしょうか。
そんな関目の紹介でした。

長屋の玄関先のたこ焼き屋
というのもようけあったけど
今は減ったなあ。
タコは小さめやったけど、
どこもうまくて安かった。

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街のニュース

最近まちのはずれを自転車で
ちんたら乗ってると
人気のない空地で
誰も通らないような場所が
この地域では結構ありまして。

これは町と谷になってる
隣町との間の草むらぼうぼうの
ほったらかし地帯で入れるけど
一応は軽く通せんぼしてある。

これをちょっと無理して入っていくと
広い野球ができるくらいの
平地がぽつぽつあって、
実際野球の練習をしていたりするのを
見たこともあったのだが

ここに久しぶりに行ってみると
太陽光発電パネルで埋め尽くされて
全くびっくりするくらい忽然と
野球場やただの広場がなくなってました。

これは誰の所業なのでしょうか?
全く分からないのですが
売ってるのか、工場などで
自家発電して使ってるのか。
もともと誰の土地だったんでしょうね。

調べてみると
北杜市でメガソーラーパネル環境破壊で
問題になってるようだ。

電気事業法の規制にかからない範囲で
投資家を募って事業を
展開しているなかで
景観破壊や、設置した後の
構造の脆弱さのよる
台風などで吹き飛ばされた場合による被害
など多数の問題を抱えているとのこと。

東京湾岸では約100万平方メートルの
埋め立て用砂利採取跡地の山で
24000世帯分の1年間の電力を
供給できる施設を作っているらしい。

再生できない山を有効利用したらしいが
元はと言えば山を切り開いたのでは?
僕がみた場所はそもそもなんだったのか。
やはり小山の中腹の野原だった感じ。

人が入って、平地にしたあと何年も放置されていて
忽然とパネルがあらわれたようです。

電気は世の中になくては
ならないものになってますが、
何事も私利私欲にかたよらず
バランスが大事だと思います。

ちなみに100万平方メートルって
1000m×1000m=1,000,000
つまり1kmの正方形ですね。
外周を歩けば4km,徒歩約1時間かかる程度です。

しかし産業廃棄物処理でも
カドミウムが入っていて
問題があるようで、できれば違う
良いものを考えるべきですね。
僕にできることは、
電力に限らずエネルギー資源
の無駄使いを
しないことくらいしか、
今のところできません。

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